季節の訪い、美しき

もういい、もういい、
訪い告げる影に音、一番星(山田彩緒)

 

『美しき季節』     (山田真佐明)

 

くらくらする夏がすぐの
平穏な日
将棋を指していると
周囲が慌ただしい

具合悪そうに運ばれた
あなたは痛々しくあった

相手をうながして場所を変えた
太陽が山や海を熱し
沸騰すると思った
将棋に負けても
悔しくなかった

むしろ 手を止めて

あなたの安穏を祈る思いだった
肌を射貫く陽射しの中
何を背負ってここまで来たか
常軌を逸した表情でも
笑顔を作ろうとする
ふらつく足がもつれながら
それでも歩こうとする

わたしは何も言えなかった

ただ

あなたをあるがまま受け止めたい
夏の暑さを前に 誓った

季節は巡る
あなたの消息を
風の便りで聞いた

どこかの店で健気に頑張っているらしい
仕事からの帰路仰いだ空は
あの日と同じあなたの色をしていた

そういえば、世界は雪

沈黙が面映ゆい
声の湿度に雨を感じます
呼吸とは自力救済です

お返しするたばこのけむり
そういえば雪でした(山田彩緒)

 

『世界は雪』

 

事務室を出た
廊下を歩きながら夕日を眺める
曲がり角まで連なる窓列の外には
紺色の空と落日が木々と絡んで佇む
灰の雲はまばらで外気は澄んでいるようだ

出会い頭 廊下の角でぶつかりそうになった職員と
頭を下げて労いの挨拶をする
持っているペットボトルの水がたぷんと音をたてる

飼い犬が苦しむ夢を見て泣いていた夜に
あなたが起きていて話を聴いたこと
次の日の寝不足が辛かったが
少しだけ心が弾んでいたこと
思い出して微笑んでいる

愛と戦争の世界に生まれついて
仏国を目指す日々を説かれたりもするが

廊下から見た夕日が美しかったから
ぶつかりそうになりながら挨拶を交わしたから
ペットボトルの水がたぷんと言ったから
悲しい夢の夜あなたが傍にいたから

ここは仏国だと思う

今雪はずっと降り積もり
明日には根雪になるのではないかとラジオで囁かれる
庭先の裸木が冷たい雪に囲われて黙っている
青白い空が夕焼け色を見せない

しかし

きっとこの白く厳しい寒さの地にも
仏世界はあらわれる日はある

瞑目する
あなたの優しい声が聴こえる
耳傾けてうなずいている(山田真佐明)

 

―あなたが選ばなかったところに私はいます―(山田夫妻)

宛先不明

三十六才になる男は若い娘に恋をする
扉の前に突っ立ったままの恋をする

ボーキサイトを原料とするアルミニウム製品は
その先では規制対象となる
自死や他害の恐れがある故だと聞いた
規制の内側では他にも恋愛がご法度になる
彼(/女)らを拘束する車椅子に関しては
原料がボーキサイトであっても規制の対象外だ

心身を拘束し半ば人間らしさを奪う
その建物の内側では いつも人間味のある叫びが
耳に馴染んでいた

―帰らせてくれ ―とうさん、かあさん

―新聞は、ないの ―テレビ見せろ

そんな中 三十六才になる男は若い娘に恋をする
扉の前に突っ立ったままの恋をする

娘は色白くいつも化粧をして美しかった
若くハリのある白肌に紅は燃えるようだった
男は見るも無惨に醜く 若いころの面影は
まるでなかった 身体だけ大きく勢いもなかった

だから男は娘の扉の前にいつも突っ立ったまま
狂おしいほどの美しさに 二の句も出ない状態だった

それ以上は何も起こらなかった
出所後 訊いた住所に便りを何通か出したが
いつも宛先不明で返送された それきりだ

ボーキサイトを原料とするアルミニウム製品で沢山の
自分の部屋で 三十六才の男は今この詩を書いている

三十六才になる男は若い娘に恋をしている
扉の前に突っ立ったままの恋をしている

みぞれの朝

みぞれの朝 食堂に蛍光灯がともる
ラジオ体操後 テレビがつけられる
各々 意中の座席に腰かける
お前の定位置まえに 座る
まだ来ないが テレビを観ながら待つ 

時折窓の外をみる みぞれに混じる雪片が
揺らめきながら 一直線に落ちてゆく 

 

昨夜はずっと話しをしていた
ほとんど お前の思い出話だった 笑い合った

冬がすぐそこに来ているが 暖かであった
お前は寒そうにしていたから
上衣を貸した 落ち着いて話すようになった

 

誰かが少し窓を開けた
鋭く刺すような冷たい風が入る

 

もう二十分もすると朝食の時刻だ
また昨日のよう お前と話しがしたい
まぶたを閉じて 横顔を思う
あどけなさの残る お前
その強い態度との危うい均衡に 恋をしたのだ

 ―おはようございます―
眠そうに少し腫れた顔で席に着く
ぼうっとしてから
昨夜話し過ぎたことを謝った
首を横に振って 大丈夫だ というと

 ―昨日の夜は久しぶりに安心してよく眠れました―

とまっすぐに微笑んだ
細い体の ありったけの力を使うように

 

みぞれは朝を満たし続けている
雪片が 揺らめきながら 一直線に落ちていく

冬の空き地

自動車を使えば三秒で渡りきる橋
その橋の下 川沿いに繁茂する緑
草木伝いに小さな舗装路を進むと
行き止まりに小型車二台分の空き地
何ごとかやりきれない日には その空き地に車をとめて
雨の過ぎるのを待つことが多かった

ある冬の夕方 大雪が降り 寒さが厳しかった
私は些細なことで 家の人間と口論になり
自動車の鍵をもって 家を飛び出した 

行く当てなどなく
嵐が去るのを待つため
空き地に自動車を駆った
夜が訪れようとしていた
家々は門灯をともし始め
重く積もった雪はぼんやりと白く浮かぶ

と 空き地に先客があった
自動車ではなく
薄着で震えている 十四、五の少年
唇が青く 歯の根が合っていない

事情も聴かず 入って暖まりなさい
というと少年は震えながら後部席に座った
暖房を強くした
温かくしてあったスポーツドリンクを手渡すと
少年はそれを持ったまま眠りこけた 

三十分すると 家の人らしい二人組が
少年の名を叫び こちらに向かってきた
少年を起こし ご両親来たよ と促した
眼をこすりながら どうもありがとう といって
ドアを開け ペットボトルを持ったまま
二つの影に向かってとぼとぼ歩いて行った

 

私も家に帰りたくなった
車を出して
冬の凸凹道をできるだけ早く
慎重に走る
すっかり辺りは夜だ
雪もほの青く浮かび上がる

丁度あの少年の唇の色だ
怒られずに済んだろうか
きっと優しく諭されただろう

夕飯は何だろうか
考えたとたん
腹の虫がひといき啼いた

チクタク チクタク

一人きりの時間は
小ぶりな置時計と一緒に
チクタク チクタク

あなたの一人きりも
多分時計と一緒に
チクタク チクタク

部屋のなかを
満ち足りているのです

恋をしているとき
一人きりの時間をながく感じ
あなたと居られれば
チクタクなぞは 聞こえもしません

私の家の庭で
両親の植えた花々が
七色に輝いています
二人の幾多の苦悲を越えた色々が
今の私にはまだ重くのしかかっていて
手に負えませんが

いつかこの家を譲り受けたとき
少しずつ手入れができるよう

チクタク チクタク

この小ぶりの置時計と
歩いていきたいのです

 

初恋

静まり返った部屋に
秒針とペンシルと君の声
あの日の微笑みに
報いるだけの力

夕焼けに問いかけるよう
絞りだした声

きれいに忘れてしまうのだろう
いずれきれいに消えてしまうのだろう

細切れの映像に
君だけがかまびすしい

たよりない毎日に
あの日と同じような
夕焼けだけがたよりだ

君の生活は寒くはないか
心飢えてはおらぬか
けがはないか
会いたかった人には会えたか

叫び出しそうな過ちは
ここに書き置くこともできず
こころのなか 日に日に
大きく巣喰っていき
いまに君のことも吞み込むことだろう

静まり返った部屋に
秒針とペンシルと君の声
あの日の涙に
寄り添えるだけの力

いまゆっくりと歩きだして――